The Sense of Wonder

センス・オブ・ワンダー(不思議さに驚嘆する感性)

レイチェル・カーソン


 ある秋の嵐の夜、わたしは1歳8か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底からわきあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。幼いロジャーにとっては、それがオケアノス(大洋の神)の感情のほとばしりにふれる最初の機会でしたが、わたしはといえば、生涯の大半を愛する海とともにすごしてきていました。にもかかわらず、広漠とした海がうなり声をあげている荒々しい夜、わたしたちは、背中がぞくぞくするような興奮をともにあじわったのです。


それから2日ほどたった夜、わたしは、ふたたびロジャーをつれて懐中電灯の光をたよりに、波打ちぎわまでいきました。雨は降っていませんでしたが、その夜も強い風が吹き、海辺にはくだける波の音がとどろいていました。わたしは、その場所、その瞬間が、なにかいいあらわすことのできない、自然の大きな力に支配されていることをはっきりと感じとりました。じつはその夜、わたしたちはゴーストクラブ(和名スナガニ)とよばれるカニをさがす探検にでかけてきたのです。このカニは、昼間、海辺で遊ぶロジャーの目を、ときどきちらっとかすめてはすばやく砂のなかにもぐっていく、砂と同じ色をした足の早いカニです。しかし、カニはもともと夜行性なので、昼のあいだは波打ちぎわに小さな穴を掘ってなかにひそみ、海がはこんできてくれるものを待ちかまえるようにかくれているため、なかなか目にすることはできません。そこでわたしたちは、夜の海辺にカニたちをさがしにきたのです。大洋の荒々しい力のまえに、たった1ぴきで立ちむかっているこの小さな生きもののかよわい姿を目にするたびに、わたしはなにか哲学的なものすら感じさせられます。もちろん、ロジャーがわたしと同じように感じているとはいいません。しかし、すばらしいことに、彼は風の歌も暗闇も、波のとどろきもこわがらず、大自然の力に包まれた夜の世界を幼な子らしい素直さで受けいれ、“ゴース(オバケ)”をさがすのに夢中になっていました。


まだほんの幼いころから子どもを荒々しい自然のなかにつれだし、楽しませるということは、おそらく、ありきたりな遊ばせかたではないでしょう。けれどもわたしは、ようやく4歳になったばかりのロジャーとともに、彼が小さな赤ちゃんのときからはじめた冒険…自然界への探検…にあいかわらずでかけています。そして、この冒険はロジャーにとてもよい影響をあたえたようです。わたしたちは、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も探検にでかけていきます。それは、なにかを教えるためにではなく、いっしょに楽しむためなのです。


わたしは毎年、夏の数か月をメイン州の海辺ですごしています。浜辺から森へとつづく土地に、小さいながらも別荘をもっているのです。花崗岩にふちどられた海岸線から小高い森へ通ずる道には、ヤマモモやビャクシン、コケモモなどが茂り、さらに坂道を登っていくと、やがてトウヒやモミのよい香りがただよってきます。足もとには、ブルーベリー、ヒメコウジ、トナカイゴケ、ゴゼンタチバナなどの、北の森に見られるさまざまな植物のじゅうたんが敷きつめられています。わたしが“原生林”とよんでいるトウヒのそびえる丘の斜面には、シダが生い茂った日かげの窪地があって、そこここに岩が顔をのぞかせています。あたりには、アツモリソウやヤマユリの花が咲き、ツバメオモトは魔法つかいの杖のような細いくきの先に、濃い紺色の実をつけます。ロジャーがここにやってくると、わたしたちはいつも森に散歩にでかけます。そんなときわたしは、動物や植物の名前を意識的に教えたり説明したりはしません。ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意をむけるようになっていきます。もっともそれは、大人の友人たちと発見のよろこびを分かち合うときとなんらかわりはありません。あとになってわたしは、彼の頭のなかに、これまでに見た動物や植物の名前がしっかりときざみこまれているのを知って驚いたものです。植物のカラースライドを見せると、ロジャーは、「あっ、あれはレイチェルおばちゃんの好きなゴゼンタチバナだよ」とか、「あれはバクシン(ビャクシン)だね。この緑色の実は、リスさんのだからたべちゃいけないんだよ」などといったものです。いろいろな生きものの名前をしっかり心にきざみこむということにかけては、友だち同士で森へ探検にでかけ、発見のよろこびに胸をときめかせることほどいい方法はない、とわたしは確信しています。


ロジャーは、岩場の多いメイン州の海岸にはめずらしい小さな三角形の砂浜で、貝の名前もそんなふうに覚えていきました。ロジャーはまだ1歳半ぐらいのころから、ウインキー(ペリウィンクルのこと…和名タマキビ)、ウェック(ウェルクのこと…和名バイガイ)、マッキー(マッセルのこと…和名イガイ)などと貝の名をよぶようになりました。わたしには、いったいいつのまにそのような名前を覚えたのかまったくわかりません。1度も彼に教えたことはなかったのですから。


寝る時間がおそくなるからとか、服がぬれて着替えをしなければならないからとか、じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取りあげてしまう楽しみを、わたしたち家族はみなロジャーにゆるし、ともに分かち合いました。夜ふけに、明かりを消したまっ暗な居間の大きな見晴らし窓から、ロジャーといっしょに満月が沈んでいくのをながめたこともありました。月はゆっくりと海のむこうにかたむいてゆき、海はいちめん銀色の炎に包まれました。その炎が、海岸の岩に埋まっている雲母のかけらを照らすと、無数のダイヤモンドを散りばめたような光景があらわれました。このようにして、毎年、毎年、幼い心に焼きつけられてゆくすばらしい光景の記憶は、彼が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかにたいせつな影響を、彼の人間性にあたえているはずだとわたしたちは感じていました。それが正しかったことを、去年の夏、ここでむかえた満月の夜に、ロジャーは自分の言葉で伝えてくれました。わたしのひざの上にだっこされて、じっと静かに月や海面、そして夜空をながめながら、ロジャーはそっとささやいたのです。「ここにきてよかった」


雨の日は、森を歩きまわるのにはうってつけだと、かねてからわたしは思っていました。メインの森は、雨が降るととりわけ生き生きとして鮮やかに美しくなります。針葉樹の葉は銀色のさやをまとい、シダ類はまるで熱帯ジャングルのように青々と茂り、そのとがった1枚1枚の葉先からは水晶のようなしずくをしたたらせます。カラシ色やアンズ色、深紅色などの不思議ないろどりをしたキノコのなかまが腐葉土の下から顔をだし、地衣類や苔類は、水を含んで生きかえり、鮮やかな緑色や銀色を取りもどします。自然は、ふさぎこんでいるように見える日でも、とっておきの贈りものを子どもたちのために用意しておいてくれます。去年の夏、雨にぬれた森のなかを歩きまわっていたときに、ロジャーのようすを見て、わたしはそのことに気がついたのです。雨と霧の日が何日もつづき、居間の大きな見晴らし窓は雨に打たれ、霧は湾の景色をすっぽりとかくしていました。海に沈めてあるロブスターとりの籠を見まわる漁師やカモメの姿も見えず、リスさえも顔を見せてはくれません。小さな別荘は、雨の日に活発な3歳の子どもをとじこめておくにはせますぎました。「森へいってみましょう。キツネかシカが見られるかもしれないよ」わたしはそういうと、ふたりで黄色い防水コートを着て、雨よけの帽子をかぶり、なにか楽しいことが起こりそうな期待に胸をふくらませて外にでていきました。地衣類は、わたしのむかしからのお気に入りです。石の上に銀色の輪をえがいたり、骨やツノや貝がらのような奇妙な小さな模様をつくったり、まるで妖精の国の舞台のように見えます。ロジャーは雨が魔法をかけてつくりかえた地衣類の姿に気がついてよろこんでいます。それを見て、わたしもとてもうれしくなりました。森の小道には、トナカイゴケとよばれている地衣類が一面に敷きつめられていました。それは古風な細長い敷物のように、緑色の森に銀ねず色の帯を四方へと走らせていました。晴れて乾燥している日には、トナカイゴケのカーペットは薄く乾いていて、踏みつけるともろく、くずれてしまいます。しかし、スポンジのように雨を十分に吸いこんだトナカイゴケは、厚みがあり弾力に富んでいます。ロジャーは大よろこびで、まるまるとしたひざをついてその感触を楽しみ、あちらからこちらへと走りまわり、ふかふかした苔のカーペットにさけび声をあげて飛びこんだのです。


わたしたちが、はじめてクリスマスツリーごっこをしたのもその森のなかでした。あたりにはいろいろな大きさのトウヒの若木がたくさん頭をだしていて、なかにはロジャーの指ほど小さい苗もありました。わたしは、小さな赤ちゃんトウヒをさがしはじめました。「これはきっとリスのクリスマスツリーね」と、わたしはいいました。「ちょうどいい高さよ。クリスマス・イブになるとアカリスがやってきて、小さな貝がらや松ぼっくり、銀色の苔の糸で飾るの。それから雪が降ってくると、キラキラ光る星をいっぱいつけたようになるでしょう。朝になるまでに、リスたちのすてきなクリスマスツリーができあがっているわ。あら、こっちのはとっても小さいから、きっと虫のツリーね。このちょっと大きいのは、ウサギかウッドチャック(北アメリカに広く分布するリス科の哺乳類。体長30〜50センチ)のよ」


この遊びは、森へ散歩にいくたびにおこなわれるようになりました。「クリスマスツリーを踏んじゃだめよ!」散歩のとちゅうに、そんな声をあげることもしばしばでした。


子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー…神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」と嘆きの声をあげるのです。わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。子どもといっしょに風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと。そうした音に耳をかたむけているうちに、あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。雨の日には外にでて、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿をかえていくひとつぶの水の長い旅路に思いをめぐらせることもできるでしょう。あなたが都会でくらしているとしても、公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥の渡りを見て、季節の移ろいを感じることもできるのです。さらに、台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた1粒の種子さえも、芽をだし成長していく植物の神秘について、子どもといっしょにじっくり考える機会をあたえてくれるでしょう。


子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。このような思いが強烈にわたしの心をとらえたある夏の夜のことをわすれられません。月のない晴れた夜でした。わたしは友だちとふたりで岬にでかけていきました。そこは海につきだしていて、まわりはほとんど海にかこまれていたので、まるで小さな島にいるようでした。はるか遠くの水平線が、宇宙をふちどっています。わたしたちは寝ころんで、何百万という星が暗い夜空にきらめいているのを見あげていました。夜のしじまを通して、湾の入口のむこうの岩礁にあるブイの音がきこえてきます。遠くの海岸にいるだれかの話し声が、澄んだ空気を渡ってはこばれてきました。別荘の灯が、ふたつみっつ見えます。そのほかには、人間の生活を思わせるものはなにもなく、ただ友だちとわたしと無数の星たちだけでした。わたしはかつて、その夜ほど美しい星空を見たことがありませんでした。空を横切って流れる白いもやのような天の川、きらきらと輝きながらくっきりと見える星座の形、水平線近くに燃えるようにまたたく惑星…。流れ星がひとつふたつ地球の大気圏に飛びこんできて燃えつきました。わたしはそのとき、もし、このながめが一世紀に1回か、あるいは人間の一生のうちにたった1回しか見られないものだとしたら、この小さな岬は見物人であふれてしまうだろうと考えていました。けれども、実際には、同じような光景は毎年何十回も見ることができます。そして、そこに住む人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは1度も見ることがないのです。たとえ、たったひとつの星の名前すら知らなくとも、子どもたちといっしょに宇宙のはてしない広さのなかに心を解き放ち、ただよわせるといった体験を共有することはできます。そして、子どもといっしょに宇宙の美しさに酔いながら、いま見ているものがもつ意味に思いをめぐらし、驚嘆することもできるのです。


ごく小さなものたちの世界も、関心をもつ人はほとんどいませんが、とても興味深い世界です。子どもたちは、きっと自分自身が小さくて地面に近いところにいるからでしょうか、小さなもの、目立たないものをさがしだしてはよろこびます。そのことに気がついたならば、わたしたちがふだん急ぐあまりに全体だけを見て細かいところに気をとめず見落としていた美しさを、子どもとともに感じとり、その楽しさを分かち合うのはたやすいことです。自然のいちばん繊細な手仕事は、小さなもののなかに見られます。雪の結晶のひとひらを虫めがねでのぞいたことのある人なら、だれでも知っているでしょう。わずかな出費をおしまないで上等な虫めがねを買えば、新しい世界がひらけてきます。ありふれたつまらないものだと思っていたものでも、子どもといっしょに虫めがねでのぞいてみましょう。ひとつかみの浜辺の砂が、バラ色にきらめく宝石や水晶や輝く黒いビーズのように、あるいは、こびとの国の岩の山のように見えたり、また、砂のなかからウニのトゲや巻貝のかけらが見つかるかもしれません。森の苔をのぞいて見ると、そのながめは、熱帯の深いジャングルのようです。苔のなかをはいまわる虫たちは、うっそうと茂る奇妙な形をした大木のあいだをうろつくトラのように見えます。池の水草や海藻をほんのすこしガラスのいれものにとり、レンズを通して見てみましょう。かわった生きものたちがたくさん住んでいて、彼らが動きまわるようすは、何時間見ていても見あきることはありません。また、いろいろな木の芽や花の蕾、咲きほこる花、それから小さな小さな生きものたちを虫めがねで拡大すると、思いがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。


視覚だけでなく、その他の感覚も発見とよろこびへ通ずる道になることは、においや音がわすれられない思い出として、心にきざみこまれることからもわかります。ロジャーとわたしは、朝早く外にでて、別荘の煙突から流れてくる薪を燃やす煙の、目にしみるようなツンとくる透明なにおいをかいで楽しんだものでした。引き潮時に海辺におりていくと、胸いっぱいに海辺の空気を吸いこむことができます。いろいろなにおいが混じりあった海辺の空気につつまれていると、海藻や魚、おかしな形をしていたり不思議な習性をもっている海の生きものたち、規則正しく満ち干をくりかえす潮、そして干潟の泥や岩の上の塩の結晶などが驚くほど鮮明に思い出されるのです。やがてロジャーが大人になり、長いあいだ海からはなれていてひさしぶりに海辺に帰ってくるようなことがあったなら、海のにおいを大きく吸いこんだとたんに、楽しかった思い出がほとばしるようによみがえってくるのではないでしょうか。かつて、わたしがそうだったように。嗅覚というものは、ほかの感覚よりも記憶をよびさます力がすぐれていますから、この力をつかわないでいるのは、たいへんもったいないことだと思います。


音をきくこともまた、実に優雅な楽しみをもたらしてくれます。ただし、すこしだけ意識的な訓練が必要ですけれども。かつてある人がわたしに、モリツグミの声を1度もきいたことがないといったことがあります。けれども、その人の家の庭では、春がくるといつも、モリツグミが鈴をふるような声で歌っているのをわたしは知っています。ちょっとしたヒントをあたえたり、例を教えてあげさえすれば、子どもたちは自分のまわりにあるさまざまな音をきき分けることができるようになります。雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音にじっくりと耳をかたむけ、それらの音がなにを語っているのか話し合ってみましょう。そして、あらゆる生きものたちの声にも耳をかたむけてみましょう。子どもたちが、春の夜明けの小鳥たちのコーラスにまったく気がつかないままで大人になってしまわないようにと、心から願っています。子どもたちは、とくぺつに早起きをして、明けがたの薄明かりのなかを外にでかけたときのことをけっしてわすれないでしょう。鳥たちの最初の声は、太陽が顔をだすまえにきこえてきます。ひとりぼっちの最初の歌い手の声をきき分けるのはたやすいことです。まず、赤いカーディナル(和名ショウジョウコウカンチョウ)が、澄んだかん高い笛のような声で歌いはじめるでしょう。それから次に、ノドジロシトドが天使のようにけがれのない歌声をひびかせ、夢のような、わすれることのできないよろこびをもたらしてくれます。すこしはなれた森では、ヨタカが単調な夜の歌を歌いつづけています。リズミカルな特微のあるその声音は、きこえてくるというより、感じるといっていいようなものです。やがて、コマドリ、ツグミ、ウタスズメ、カケス、モズモドキたちが合唱に加わってきます。朝のコーラスは、コマドリの数がふえるにつれてボリュームをあげ、そのうちにコマドリの迫力のあるリズムが、自然の混成曲(メドレー)をリードするようになっていきます。この明けがたのコーラスに耳をかたむける人は、生命の鼓動そのものをきいているのです。


生きものたちが奏でる音楽は、このほかにもあります。わたしはロジャーと、秋になったら懐中電灯をもって夜の庭にでて、草むらや植えこみや花壇のなかで、小さなバイオリンを弾いている虫たちをさがそうと約束しています。虫のオーケストラは、真夏から秋の終わりまで、脈打つように夜ごとに高まり、やがて霜がおりる夜がつづくと、か細い小さな弾き手は凍えて動きが鈍くなっていきます。そして、とうとう最期の調べを奏でると、長い冷たい冬の静寂のなかへひきこまれていきます。懐中電灯をたよりに小さな音楽家をたずね歩くひとときの冒険は、どんな子どもも大好きです。彼らは、しゃがみこんで目をこらし、じっと待っているあいだに、夜の神秘性と美しさを感じとり、夜の世界がいかに生き生きとしているかを知るのです。虫たちの音楽をきくときには、オーケストラ全体の音をとらえようとするよりは、ひとつひとつの楽器をきき分けて、それぞれの弾き手のいる場所をつきとめようとするほうが、より楽しめます。あなたがたはきっと、快い高音でいつまでもくりかえされる音色にひかれて、1歩1歩茂みに近づいていくことでしょう。そしてついに、月の光のようにはかなく白い羽をもった薄緑色の小さな虫を見つけるのです。庭の小道に沿ったあたりからは、楽しそうなリズミカルな、ジーッ、ジーッという音がきこえてきます。それは、暖炉で薪がはじける音や、猫がのどを鳴らす音と同じように、なじみ深い家庭的なひびきです。懐中電灯を下にむけると、黒いケラが草むらのすみかに急いで姿をかくすのが見えるでしょう。なかでも心ひかれてわすれられないのは、『鈴ふり妖精』とわたしがよんでいる虫です。わたしはまだ1度もその虫を見たことはありません。それにほんとうのところは、あいたいと思っていないのかも知れません。彼の声は…きっと姿もそうにちがいないと思うのですけれども…この世のものとも思えないほど優雅でデリケートです。わたしは、これまでにいく晩も彼を見つけようとしましたが、けっして姿をあらわしてはくれませんでした。ほんとうにその音は、小さな小さな妖精が手にした銀の鈴をふっているような、冴えて、かすかで、ほとんどききとれない、言葉ではいいあらわせない音なのです。この鈴の音がすると、どこからきこえてくるのだろうと、息をころして緑の葉かげのほうに身をかがめてしまいます。


夜には、またべつの声もきこえてきます。春には北へむかい、秋になると南へ急ぐ渡り鳥たちがよびかわす声です。風のないおだやかな十月の夜、車の音がとどかない静かな場所に子どもたちをつれていき、じっとして頭上にひろがっている暗い空の高みに意識を集中させて、耳を澄ましてみましょう。やがて、あなたの耳はかすかな音をとらえます。鋭いチッチッという音や、シュッシュッというすれ合うような音、鳥の低い鳴き声などです。それは広い空に散って飛びながら、なかま同士がはぐれてしまわないようによびかわす渡り鳥の声なのです。わたしは、その声をきくたびに、さまざまな気持ちのいりまじった感動の波におそわれずにはいません。わたしは、彼らの長い旅路の孤独を思い、自分の意志ではどうにもならない大きな力に支配され導かれている鳥たちに、たまらないいとおしさを感じます。また、人間の知識ではいまだに説明できない方角や道すじを知る本能に対して、湧きあがる驚嘆の気持ちをおさえることができません。その夜が満月で、鳥の渡りの声がにぎやかだったら、また、子どもが望遠鏡や上等な双眼鏡を十分につかいこなせるほどの年齢になっていたら、もうひとつの冒険の道がひらかれます。満月のまえを横切って飛ぶ渡り鳥を見る楽しみです。この観察は、すこし年齢の高い子どもたちに、渡りの神秘を感じとらせるよい方法だと思います。まず、すわり心地のよい場所に腰をすえて、望遠鏡の焦点を月に合わせます。それから忍耐を学ぶのです。というのも、渡り鳥の銀座通りにでもであわないかぎり、鳥の姿を見つけるまでに長いあいだ待たなければならないからです。そうして待っているあいだに、月の表面を観察してみましょう。それほど倍率の高くない望遠鏡や双眼鏡でも、月面の細かいところまでかなりよく見えて、天文好きの子どもたちを夢中にさせてくれます。しかし、遅かれ早かれ、天空の孤独な旅人たちが暗闇から姿をあらわし、ふたたび暗闇へと月面を横切っていくのをながめることができるでしょう。


わたしはここまで、わたしたちのまわりの鳥、昆虫、岩石、星、その他の生きものや無生物を識別し、名前を知ることについてはほとんどふれませんでした。もちろん、興味をそそるものの名前を知っていると、都合がよいことは確かです。しかし、それはべつの問題です。手ごろな値段の役に立つ図鑑などを、親がすこし気をつけて選んで買ってくることで、容易に解決できることなのですから。いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。もし、名前を覚えることで終わりになってしまうのだとしたら、それはあまり意味のあることとは思えません。生命の不思議さに打たれてハッとするような経験をしたことがなくても、それまでに見たことがある生きものの名前を書きだしたりっぱなリストをつくることはできます。もし、8月の朝、海辺に渡ってきたイソシギを見た子どもが、鳥の渡りについてすこしでも不思議に思ってわたしになにか質問をしてきたとしたら、その子が単に、イソシギとチドリの区別ができるということより、わたしにとってどれほどうれしいことかわかりません。


人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごすゆかいで楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン…夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ…のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。


わたしは、スウェーデンのすぐれた海洋学者であるオットー・ペッテルソンのことをよく思い出します。彼は数年まえに93歳で世を去りましたが、最期まで彼のはつらつとした精神力は失われませんでした。彼の息子もまた世界的に名の知られた海洋学者ですが、最近出版された著作のなかで、彼の父親が、自分のまわりの世界でなにか新しい発見や経験をするたびに、それをいかに楽しんでいたかを述べています。「父は、どうしようもないロマンチストでした。生命と宇宙の神秘をかぎりなく愛していました」


オットー・ペッテルソンは、地球上の景色をもうそんなに長くは楽しめないと悟ったとき、息子にこう語りました。「死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」と。

最近、わたしのところへ寄せられた1通の手紙は、不思議さに驚嘆する感性…「センス・オブ・ワンダー」は、生涯を通して持続するものであることを雄弁に物語っていました。その手紙はある女性の読者からのもので、休暇をすごすのに適当な海辺を推薦してもらえないかという内容でした。彼女は、太古の時代から存在しつづけながら常に新しい、海辺の世界をたずね歩きたいとねがっていて、文明によって傷つけられず自然のままが残っている場所をさがしているということでした。ただ、北部の岩場の多い海岸は残念ですがのぞいてくださいと書いてあります。彼女は生涯を通じて海辺を愛しつづけてきたのですが、メイン州の海岸の岩をよじ登ることは、まもなく89歳の誕生日をむかえる身には、いささかむずかしいでしょうから、というのです。手紙を読み終えたわたしの心は、あかあかと燃えさかる彼女の好奇心の炎によって、すっかり暖められていました。その炎は、実に80年という長い年月のあいだ、彼女の若々しい精神のなかで燃えつづけてきたのです。


自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。


訳者あとがき

レイチェル・カーソンは、アメリカのベストセラー作家であり海洋生物学者でもあった。1907年、アメリカのペンシルバニア州スプリングデールに生まれたレイチェルは、幼い頃から作家になることを夢に描いていた。大学では生物学を専攻し、ジョンズ・ホプキンス大学で修士号まで得たレイチェルは、そのまま研究生活をつづけたかった。しかし、父の死によって、母と姉の遺児である2人の姪との生活を支える責任はレイチェルの肩にかかってきた。内務省の魚類・野生生物局の生物専門官になった彼女に与えられた仕事は、海洋資源などを解説する広報誌の執筆と編集だった。いつの間にか彼女のなかで科学と文学は合流し、公務員生活をつづけながら再び作家への道をたどるようになっていったのだ。やがて、彼女は海洋生物学者としての素晴らしい作品、『われらをめぐる海(The Sea Around Us)』(早川文庫)、『海辺(The Edge of the Sea)』(平河出版)、『潮風の下で(Under the Sea Wind)』(宝島社)などを次々に発表し、いずれもアメリカではたいへんなベストセラーになった。これらの作品の美しい詩情豊かな文章は、いまでも多くの人に愛されている。

あるとき、作家としての名声を確かにしたレイチェルのもとに、友人からの1通の手紙が舞いこんだ。役所が殺虫剤のDDTを空中散布した後に、彼女の庭にやってきたコマドリが次々と死んでしまった、という内容の手紙だった。この1通の手紙をきっかけに、彼女は4年におよぶ歳月の間、膨大な資料の山に埋もれて、後に「歴史を変えることができた数少ない本の1冊」と称されることになる『沈黙の春(Silent Spring)』(新潮社)の執筆に取り組んだのだ。『沈黙の春』を執筆中にガンにおかされた彼女は、文字通り時間とのたたかいのなかで、1962年、ついにこの本を完成させた。『沈黙の春』は、環境の汚染と破壊の実態を、世にさきがけて告発した本で、発表当時大きな反響を引き起こし、世界中で農薬の使用を制限する法律の制定を促すと同時に、地球環境への人々の発想を大きく変えるきっかけとなった。この本は初版後30年になろうとする現在でもなお版を重ねているロングセラーである。彼女が発した警告は、今日でもその重大さを失わず、そればかりかさらに複雑に深刻になってきている環境問題への彼女の先見性を証明している。

レイチェル・カーソンは、『沈黙の春』を書き終えたとき、自分に残された時間がそれほど長くないことを知っていた。そして最後の仕事として本書『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』に手を加えはじめた。この作品は、はじめ、“ウーマンズ・ホーム・コンパニオン”という雑誌に「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」と題して掲載された。彼女はそれをふくらませて単行本としての出版を考えていたのである。しかし、時は待ってくれなかった。彼女は1964年4月14日に56歳の生涯を閉じた。友人たちは彼女の夢を果たすべく原稿を整え、写真家チャールス・プラットやその他の人の写真を入れて、レイチェルの死の翌年、1冊の本にして出版したのである。『センス・オブ・ワンダー』は、まさにレイチェル・カーソンが私たちに残してくれた最後のメッセージなのだ。


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