子どもの心を育てる

のぞみ幼稚園では「子どもの心を育てる」ことを保育の重点としています。心を育てるには、やさしさや思いやりと共に、子どもの「心を丈夫にする」ことも大切だと思います。

子どもの心は、張りつめたフーセンのように、純粋だがゆとりがなく、壊れやすいものです。大人のようには心のヒダが多くないので、大人にとっては小さなできごとでも、子どもにとっては大きな衝撃となります。子どもは、心を揺さぶられる、いろいろな出来事によって、心のヒダが多くなり、心にゆとりができてきます。子どもが困難にぶつかったときに、挫折してしまうか、それを克服することができるかは、そこに子どもの心を支えてくれる誰かがいるかどうかに関わっています。両親の場合もあるでしょう、お友だちの場合もあるでしょう、保育者の場合もあるでしょう。困難を隠してしまうのではなく、困難にぶつかった時に私たち大人が子どもの心を支えてあげることが何よりも大切なのです。

私(園長)が、香川県立保育専門学院の学生にテキストがわりに毎年、読み聞かせている「さよならウサギ」(寺内定夫・著/すずき出版・発行)という本があります。子どもの心を揺さぶる衝撃的な出来事と、いかにそれを克服したかという貴重な記録です。著者の寺内定夫先生および、すずき出版のご許可を得て、ここに転載いたします。

以下は「さよならウサギ」(寺内定夫・著/すずき出版・発行)からの転載です。/


さよならウサギ(四歳児)

保育園で、五歳児のクラスがウサギを飼いました。たった一羽でしたが、キヨちゃんと名前をつけて、みんなで可愛がりました。初めのうちはウサギ小屋がなかったので、大きな段ボールの箱で飼っていました。

「キヨちゃん、おはよう」毎朝、五歳児クラスにやってきて、まっさきにキヨちゃんを抱く子がいます。三歳のあやちゃんです。あやちゃんは、キヨちゃんとおままごとをして遊ぶのが好きでした。まるで赤ちゃんをあやすように、キヨちゃんとおしやべりして遊ぶのです。あやちゃんは、五歳児が段ボールの箱を掃除する時もそばにいてじゃまにならないように、キヨちゃんのめんどうを見ていました。「あやちゃんは、とくべつだよ」飼育当番の五歳児たちも、あやちゃんがキヨちゃんを毎日抱くのを許してくれました。

冬がきて、あやちゃんは四歳になりました。その頃、どこからともなく、一匹の野良ネコが保育園の庭にやってきました。一番最初にこのネコを見つけたのはあやちゃんです。あやちゃんが頭をなでてあげるとすぐにゴロゴロとのどを鳴らしました。人なつっこく、優しいネコでした。それからは毎日、朝から保育園に来るようになりました。子どもたちは「トラ、トラ」と呼ぶようになりすっかり仲よしになりました。なかでもトラを可愛がったのは動物好きのあやちゃんでした。テラスで日なたぼっこをする時などあやちゃんはキヨちゃんを抱っこして、トラのからだをさすってあげます。トラは目を細め、あやちゃんにからだをこすりつけました。トラはネコなのに、ウサギのキヨちゃんにとびかかったりしませんでした。あやちゃんとネコとウサギは、家族のようでした。


クリスマスが近づいた頃、トラが突然いなくなりました。そして、まるでトラと入れ替わるかのように別な野良ネコが近くに住みつき、保育園に来るようになりました。子どもたちはこの野良ネコを、今度はタマと名づけました。タマはトラと同じ三毛ネコで、姿がとてもよく似ていました。けれども、何か違うものがありました。目が鋭く、すばしっこい。子どもたちにも、あまりなつきませんでした。それでもあやちゃんだけは、あいかわらずよく抱っこし、可愛がりました。「タマは野良ネコだから、いっぱいバイキンもいるんだよ。セキがでちゃう友だちもいるから、ずーっと抱っこしているのはよくないよ」先生はあやちゃんが、あまりタマを抱くので、そう言い聞かせたほどです。

キヨちゃんに、やっとウサギ小屋ができました。それまでの段ボール箱は、いくら子ウサギでも狭すぎました。それに野良ネコが多いのも心配でした。それでお父さんたちに手伝ってもらい、屋根のあるりっぱな小屋ができたのです。中に子どもが入って、掃除ができる大きな小屋でした。小屋の中には、段ポール箱の寝床も置きました。

お正月が明けた一月のなかば、思いがけない事件が起きました。その日の朝、あやちゃんはいつものように、キヨちゃんを抱いて庭にでました。しばらく遊んでから、キヨちゃんをウサギ小屋に返しました。けいちゃんたちが、おままごとをしようと誘ってくれたからです。そこへ、野良ネコのタマがやってきました。あやちゃんはタマを追いかけ、抱きあげて言いました。

「ちよっと、まっててね」

ネコとウサギは仲よしだから、いっしよに遊んで待っててくれると思ったのでしようか。あやちゃんは、キヨちゃんのいる小屋の中にタマを入れ友だちのところに戻つて、おままごとを続けました。


「せんせい、たいへんだー。キヨちゃんのなかに、タマがはいっちゃっている」

庭で遊んでいた五歳児クラスの子どもが、大声で叫びました。先生は何事かと、ウサギ小屋に飛んでゆきました。すると、キヨちゃんの寝床のかげにタマがいました。あわててタマを引きずりだそうとしたら、タマはキヨちゃんをくわえて逃げました。庭中を追いかけて、やっとの思いで、タマとキヨちゃんを引き離しました。でもキヨちゃんは、ぐったりとしたままでした。

あやちゃんはどうすることもできず、小屋の前で立ちつくしていました。そして庭の隅に走って行き、しゃがみこんでしまいました。先生が迎えに行くと、震えて泣いています。

「あやちゃんがやったんだよ」「あやちゃんだ、あやちゃんだ」

どこからともなく、年長児たちの声が聞こえてきます。その非難する声に、あやちゃんはじっと下を向いて耐えているようでした。先生は、子どもたちの心の動揺を沈めようとしましたが一番ショックを受けたのは、あやちゃん自身だと気づいています。

「あやちゃんが、タマをキヨちゃんの中に入れたの?」

「うん」

あやちゃんは涙をいっぱいためています。先生の顔を見ていても、もう言葉もでてきません。先生がどう慰めても、黙ってうなずきながら、ただただ泣くばかりでした。

ウサギのキヨちゃんは、病院に行く途中で、息を引きとりました。保育園に帰ってきたキヨちゃんを、タオルに包み、段ボールの箱に納めました。先生は四歳のあやちゃんを、死んだキヨちゃんと会わせたものかどうか悩みました。けれどもあやちゃんは会いたいというので、なきがらと会わせることにしました。


がっくりと肩を落としたあやちゃんでしたが、先生といっしょに小屋に入りました。段ボールの箱の中の白いタオルを取りました。いつもと違うキヨちゃんの姿に、あやちゃんは改めてショックを受けたようです。先生がキヨちゃんのからだを、そっとなでました。あやちゃんも、そっとなでました。「キヨちゃん、冷たくなってしまったね」あやちゃんは、黙ってうなずきました。

「さようなら」「さよなら」

あやちゃんは小さな声で言うと、先生に抱かれて泣きじゃくりました。

「もう、あやちゃんには、なにもかしてはだめだ」「あやちゃんが、キヨちゃんをころしちゃったんだ」ウサギを飼っていた五歳児たちは、もちろん大きなショックを受けたのでしょう。激しい怒りの言葉が、保育園の中を駆けめぐりました。けれども、あやちゃんはやっぱり黙って聞いているだけでした。あやちゃんはタマを見つけて叱りました。それからまもなく、タマは保育園から姿を消してしまいました。

しょんぼりしているあやちゃんに、そっと寄り添っていたのはけいちゃんでした。

(大田区・大町弘子先生の記録から)

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「この文章は、寺内定夫先生および、すずき出版の許諾を受けて転載したものです。著者ならびに発行所に無断で複製、翻案、翻訳、送信、頒布する等の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。」

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