「心に緑の種をまく 絵本のたのしみ

渡辺茂男・著(新潮社・刊/1800円税別)

くまくんの絵本シリーズの作者として知られる、渡辺茂男さんの絵本への思いが綴られた本です。単なるおすすめ絵本の紹介というのではなく、渡辺茂男さんと、その絵本とのかかわりが書かれています。とりあげられている絵本は有名な絵本ばかりですから、ほとんどすでに知っている絵本だと思いますが、たとえば、「かもさんおとおり」でしたら、作家が、かもを観察するために、一緒にお風呂に入ってまで生活したことなど、その本にまつわるエピソードがその絵本に近いところで書かれていて、その本への興味をよりいっそう高めてくれます。
この本の冒頭の「鼓子の読書初め」(P10からP15)は、渡辺先生のご長男、鉄太さんの育児体験を綴ったものです。父親の育児参加の例としても、とてもほほえましく、私(副園長)は好感を感じています。みなさんにも是非ご紹介したいと思い、当園のホームページへの転載を著者の渡辺茂男先生にお願いしたところ、お許しいただけました。
以下は「心に緑の種をまく(絵本のたのしみ)」(渡辺茂男・著/新潮社・発行)からの転載です。


いちばん幸せなとき「鼓子の読書初め」

「赤ちゃんがおなかにいるときから、話しかけたり歌ったりしてあげることがとても大切です。それが一生つづく読書の始まりにつながるのです」と、私はいつも他人に向かっていっているのですが、私自身は、自分の両親からそうしてもらった記憶があるわけではありません。それから私の子どもたちが母親の胎内にいたときには、母親になりつつあった妻に子どものことを語りかけることで、父親になりつつあった自分を意識するか、あるいは秘めごとのように胎内の子どもに囁きかけながら子どもの順調な発育を願うのが精一杯でした。もちろん母親は、いつでも話しかけ、自分の肌を通じて愛撫しながら、あやしたり子守歌をうたってあげたりしていました。父親の私は、それをまぶしく眺め、羨ましく思ったものでした。私と三人の子どもたち(鉄太・光哉・光太)との親子の初めての対面は、分娩室のなかではなくて保育室のなかか母親のベッドのわきでした。最近、私の長男が父親になりました。彼は、そのときのことを、こう書いています。

僕に娘ができた。「鼓子」と名付けた。「ここ」と読ませる。この名前は女房が考えた。「鼓」(つづみ、たいこ)という字は、僕がちょうど、ル・カレという人の「The Little Drummer Girl」(「リトル・ドラマー・ガール」)というスパイ小説を読んでいたところから取った。短くて覚えやすくて元気な名前になったと思う。鼓子を分娩室で初めて腕に抱いたときに、僕は歌を歌ってあげた。生まれたてのは紫色をしていて、唇をぶるぶる震わせていた。体は、胎内の血液や羊水にまみれたままだった。「お馬の親子は仲良しこよし……」と僕は鼓子に向かって歌った。さっきまで産声をあげていた鼓子はもう泣きやんでいて、なんだかまぶしそうな顔をして聞いている君は、温かい子宮から引っぱり出されて、とまどっているのかもしれないけど、ここはそんなに悪いところじゃないんだよ、そんなことが言いたくて僕は歌った。紫だった体がだんだんふやけたピンク色に変わっていく。女房の腹に子供がいることが分かった時、男親の僕としては、これは大変だぞ、と思った。いよいよ自分も親になるんだ、という感慨に、アドレナリンがドバッと分泌されたときのような高揚感を感じた。男親として何ができるかいろいろ考えた。山ほどある育児雑誌に書いてあるような家事の分担、育児の参加などということ以前に、できることがいくらでもある。僕が女房の妊娠中にかかさずやっていたことは、お腹の子供に向かって話しかけたり歌を歌ったりすることである。いわゆる胎教ということなのかもしれないが、普段聞きもしないモーツァルトなんかを聞かせようとは思わなかった。お腹にいるときから話しかければ、父親の声も赤ちゃんは覚えるらしい。果たしてそれがどれだけ発育に効果があるかは知らないが、これをやってみて、赤ん坊より自分白身に大変効果があった。父親は、母親に対してとかく劣等感を抱きがちだが、ある程度この方法で劣等感を克服できる。つまり、子宮の外には父親もいるのだと、赤ちゃんに知らせることができた、という自負が生まれるのである。「ぞうさん、ぞうさん、お鼻がながいのね」などと歌っていて、お腹の赤ん坊がぐるりと動いたりすると、大変感動する。僕は、自分の声をより子宮内に響かせるために、「プリガフォン」なるものを自作した。これはアメリカの妊娠雑誌に出ていたものを真似したもので(日本でも買えるが五千円位する)、つまり短いホースの両端がじょうごのようになっていて、片方を自分(親)の口にあて、もう片方を母親のお腹にあてて、その状態でしゃべったり歌ったりするものなのである。僕は、こんなものをわざわざ通信販売で取り寄せるのもばかばかしいので、女房がお風呂に入っている間に五分で作ってしまった。まず、庭の水まきホースを四十センチ切ってよく洗って、両端にプラスチックのお米の計量カップの底に穴をあけたものをビニールテープでくっつけた。これで出来上がりである。プリガフォンがなかったときは、母親の腹に顔を寄せて、かなり無理な姿勢で歌ったりしゃべったりしていたが、プリガフォンがあれば、母親が飯を食っていようが、本を読んでいようが、父親は胎児とコミュニケーションがとれるのである(あくまでも一方通行だが)。僕はこの方法によって、毎晩寝る前に決まった曲順で歌を五、六曲歌い(ぞうさん、お馬の親子、おお牧場は緑、多摩第三小学校校歌(僕の母校)など)、一日のできごとを話し、「こどものとも」などの絵本を何十冊か読んだのであった。

プリガフォン?(注1)

絵本の絵を胎児に見せることはできないが、見せているような気になって読んであげた。要するに自分が読んでいて楽しい本を読んだだけなのだが、けっこう童心にかえって楽しむことができた。なかでも繰り返し読んだのは「ごろごろにゃーん」、「ぐりとぐら」のシリーズ、「まんいんでんしゃ」、「どろんこハリー」、「かばくん」、「くまのコールテンくん」などである。「ごろごろにゃーん」にはストーリーがあまりなく、「ごろごろにゃーん」ということばが繰り返されるだけなので、おもしろくないから情景を説明してあげた。「ごろごろにゃーん、ほら、ねこを乗せた飛行機が海の上を飛んでゆきまーす」というような具合。(どれだけわかってくれただろうか?)変な節を付けて歌うように読んだりもした。特に「ぐりとぐら」は、僕も女房も大好きな本なので、何度も読むうちに「ぐりとぐら」の歌ができてしまった。ここに挙げた本は、みんな手近にあった本で、特に選び抜いたものではない。時間があるときは長い話を読み、時間がないときや眠いときは短い話を読んで楽しんだ。このプリガフォンを試しに自分の耳にあててしゃべってみるとけっこう大きな音で聞こえる。お腹の赤ん坊もさぞうるさかったことだろう。
それにしても男親は、出産や育児の際に、母親の補助的役割しかできないという社会通念があるのかもしれないが、僕は、これは男性中心社会の逆差別的なひがみのようなものではないかと思う。もちろん人それぞれであり、各家庭の夫婦の関係ということもあり、一様に決めつけることはできないが、僕自身は自分が「補助的な役割」しか果たしていないとは思わない。男性には子供を産むことはできないが、そこから後のことは、大概は男だって出来るだろう。しかし、男親がいろいろなことを、できない、やらない、やりたくないのは、実は社会の構造的な理由で、やりにくくなっているのだと思う。
(「季刊AVIS」No.95 1995.3 グループアビー発行)

長男の体験は、私のそれと比べて眩しいほど生き生きとした積極的なものでした。私はもう一度父親をやり直したい、と淡い羨望さえおぼえました。そこで、生まれてきた鼓子は、母親のおなかのなかにいたときに両親に読んでもらった絵本にどのように反応したのでしょうか。私は自分の子育ての体験から、生後二か月や三か月の赤ちゃんが、絵本に興味を示すことはないだろうと思っていました。そのころ私は、鼓子が両親だけでなく、私に向かってさえ笑顔をみせることに「どうして、こんな幼い子が、心のなかの喜びを外に向かって表現できるのだろう」と、人間のもつ神秘的な能力に、初孫に対する愛しさと同時に、ある種の感動をおぼえていました。鼓子は、生後三か月で、胎内にいたときに両親に読んでもらった絵本の数冊に実に生き生きとした反応を示しはじめたのです。前記の「ぐりとぐら」「かばくん」それからディック・ブルーナの「ちいさなうさこちゃん」などをソファーにすわらせた鼓子の目の前にひろげ、親が読み始めると、しっかり開いた両方の目が、開かれたページの絵をゆっくりとスキャンするのです。そこに描かれた絵を、ゆっくりと目で追うのです。ページをめくり次に進むと、また目が、はしからはしまで絵を追うのです。本の外を見ないのです。開かれたページに集中して目が動くのです。私は鼓子の不思議な集中力に感動しながらつぶやいていました。私にとっては大きな発見でした。「この子には、母親のおなかのなかで聞いていた物語が、あのときと同じ声で、目の前の絵本のなかから聞こえてくるんだ」幼い子どもが絵本を理解していく過程では、おそらく太い線の描く形と、目に映る色の刺激が大きな働きをするのだと思うのですが、鼓子には、それといっしょに聞きなれたものがたりが重なったのでした。鼓子の目が、絵を見ようと動き始めたときに、心休まる母親、父親の声か同じ空間で聞こえたのです。このような体験が親子の間でくりかえされると、子どもと本との出会いは、私たちがこれまで考えていたより、はるかに早く始まるのではないでしょうか。


以上は「心に緑の種をまく(絵本のたのしみ)」(渡辺茂男・著/新潮社・発行)からの転載です。快くこのホームページへの転載をお許しくださいました渡辺茂男先生、鉄太先生、および新潮社に感謝いたします。(のぞみ幼稚園 園長 樫村文夫)

「この文章は、渡辺茂男先生および、新潮社の許諾を受けて転載したものです。著者ならびに発行所に無断で複製、翻案、翻訳、送信、頒布する等の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。」

プリガフォン?(注1)は私(園長)が自作したものです。料理用の漏斗(じょうご)と電気配線用のホースを使用しました。幼稚園で、電話ごっこにも使っています。


下記も、私のおすすめの、ぜひ、みなさんに読んでいただきたい本の解説、抜粋等です。

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「センス・オブ・ワンダー」(R.カーソン・著)

「障害児のいる暮らし」(毛利子来・著)

「さよならウサギ」(寺内定夫・著)

ちょっと理屈ぽいことが好きな人はこちらもどうぞ

のぞみ幼稚園 園長 樫村文夫

tel(087)843-2107 fax(087)844-3677

Email kodomo@nozomi.ac.jp

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